私たちの生活の基盤はイエス様の十字架の赦しと復活の希望です。これは神様の究極の愛の表現であります。この神様の愛に、わたしたちはどれだけ感謝しながら生活していくことができるかが、わたしたちの信仰生活で大切なことです。そしてわたしたちが今捧げている、この礼拝の目的も、神様に感謝して集まっています。いや神様に集められているのです。

聖書の中で、この感謝の礼拝の様子が、ノアが大洪水から救われて最初に行ったこととして記されております。そしてノアは、その礼拝の中で動物の犠牲を神に捧げました。そして神様は、その礼拝の応答として、人の罪深さを認識しながらも、二度とこのような洪水は起こさないことを決断され、人と虹の契約を結ばれたのです。

神様は十字架によって悪に対して悪を用いず、善を追い求めました。そのイエス様の十字架に習うならば、我々は相手の悪を思わずに、お互いのために善を追い求めるのです。英語ではこの善を追っかけよ(英語ではチェイスせよ)とあるのです。

みなさんはどれだけ神に感謝していますか。隣人に向かって感謝していますか。日本人はもしかすると感謝をすることは苦手なのかもしれません。わたしもその苦手としている1人です。感謝の気持ちをわたしたちは、カードを送ったり、手紙を書いたり、電話をすることで伝えられます。長期欠席者の方々に送っている手紙は本当に喜ばれています。

詩篇28篇7節では「主はわたしの力、わたしの盾。わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします。」とあります。神様への感謝の心をベースにして、その心を人に向ける時に、その相手の心に喜びがあふれるのです。隣人を助けることに焦点を当てると喜びがやってくるのです。それ以上にもっと大きな神の喜びはイエス様の福音を隣人に伝えることなのです。祈りつつ神に導かれましょう。