マタイ福音書1章に出てくるイエス様の系図の中にユダヤ人ではない異邦人の女性であるルツが出てきます。その系図には4人の女性が登場しますが、ルツはその一人です。
血のつながりのない嫁と姑が同じ屋根の下で生活していくことは、そう簡単ではないものです。それは我々から遠い旧約聖書の時代も現代の日本の社会でも変わらないのです。
ナオミの家族(ナオミと夫エリメレク、二人の息子)4人で、ベツレヘムで飢饉があり、モアブの地に移住しました。しかしその後ナオミは夫を失いました。ふたりの息子はモアブの地で結婚しましたが、その息子二人もナオミは失ったのです。ナオミは、自分の身に起こった不幸を、他の人々から見ると‘ついてない人、神に見捨てられた人、こういう人と一緒にいれば、近くの者も不幸になるのではないか’と思ったのでしょう。それでナオミは二人の嫁とも別れようとしたのかもしれません。
しかし嫁のルツは姑ナオミに「あなたの民はわたしの民。あなたの神はわたしの神。」と信仰告白をしました。つまりこのストーリーで、ナオミはルツに対して、毎日の生活の後ろ姿で信仰を伝えていたのです。しかも夫を失い二人の息子も失った姑ナオミに対して、そのような災いをくださった神を、自分の神としたのです。
そのように信仰告白をできたルツは、その試練を通して最終的に何により頼めばよいかを見出すことができました。神は私達が好まないように試練を与えることがありますが、そのことには意味があるのです。そのことを通して神は我々に信仰を与えたり、また信仰を導くことがあるのです。
私はルツとナオミがもはや嫁姑を超えて信仰者のつながりができていたと思いました。またナオミは普段の後ろ姿を通してルツに信仰を伝えることができたのです。そしてその信仰は良い時だけではなく、試練の時にこそ必要なのだと伝わっていたのです。我々も身内に信仰を伝えさせて頂きましょう。