マリアは田舎に住み大工のヨセフと婚約していました。その娘のもとに神から使わされた天使が来て「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と伝えました。マリアは混乱したでしょう。
マリアは勇気を振り絞ってみ使いに「そのようなことは不可能です」と反論しました。しかし天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と言います。つまり神によってマリアは妊娠するのでその子が神の子と言われるのだと。み使いはダメ押しで「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」と言いました。マリアはその言葉で腑に落ちたのかもしれません。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と自然に言葉に出てしまったのです。
しかしこのことで彼女に大きなリスクがあることを彼女は理解していません。マリアが正式に結婚する前に妊娠していたとする。しかもその子は夫となるヨセフの子ではない。そうであるならば姦淫の罪で殺される危険がある。夫ヨセフに対してはなんと言ったら良いのか。
夫となるヨセフはマリアが姦淫の罪で死刑にならないようにと、密かに離縁しようとしていたことがマタイによる福音書1章で分かります。マリアに子どもが生まれたとしても母一人子一人の状態だったかもしれないのです。非常に貧しい状況に追い込まれていたのです。マリアはリスクがあるのに受け入れたのです。このマリアの葛藤はわたしたちのためでした。わたしたちも誰かのためのクリスマスを心がけて、誰かのためにリスクを受け入れて、救い主イエス様の誕生の応答としていきたいものです。