エフェソ2:10には「わたしたちは神につくられたものであり…」とありますが、口語訳聖書には「わたしたちは神の作品であって…」とあります。私たちは神の作品であって製品ではありません。さらに明治時代日本語に訳された聖書には、このところを「わたしたちは神の傑作であって…」と訳されていたものがあります。つまり私たちは単なる作品ではなく、傑作、つまり非常にすぐれた、できばえのいい作品であるということです。

その作品を作るときに大事なことは作品を作るための素材選びです。神はキリストの体なる教会を作られるとき、エフェソ2:1~3に記載されているように罪人と思えるような素材を神は選んで教会を作られたのです。何故ならば教会は罪人が悔い改め、救われることが重要であったからです。ここに神が教会を作るための素材を選んだ動機と目的があります。

神は、私たちの持つ罪という素材を選んで愛という動機と神の栄光を表わすという目的によってキリストの体である教会を作られたのです。私たちは神の作品(最高傑作、それは、非常にすぐれた、できばえのいい作品)としてつくられた者であり、そこには創作者、神の意志を無視することはできません。私たちは個人的に、勝手につくられた者ではなく、確かなる神の意志に基づいて、キリストの体である教会の中に組み込まれる一人一人としてつくられたのです。私たちは創作者である神にしっかりと応えていく者でありたいと思います。