先週の若松教会では、伊藤光雄先生を迎えての礼拝があり、また午後には葬儀(冠婚葬祭)についての研修会をもつことができました。伊藤先生が研修会で言われていて印象的だったことは、結婚式も葬儀も礼拝だということでした。
さて日本バプテスト連盟の諸教会では、毎年2月や3月にスチュワードシップ月間をもつ教会が多くあります。来週は卒園礼拝、また24日が受難週礼拝、そして31日がイースター礼拝になりますので、今週と3週目は、わたしたちも、この月をスチュワードシップ月間として覚えながら過ごしていきたいと思います。
本日のみ言葉を使用して礼拝とは何かを定義するならば、「霊と真理をもって」行うのが本来あるべき礼拝の姿になるのです。その中で語られる霊とは何であり、真理とは何なんでしょうか。原語で霊と訳されている言葉は‘息’とも訳せるようです。創世記1、2章の中で神様はあらゆる生物を創造されました。その中で神が人の体を地のちりで造られた後、人にご自身の息を吹き込んで人が生きるようになったと聖書は記しています。つまり神の息により人は生きるようになったのです。ですから私は、霊とも訳される、神から頂いた息により導かれて神を礼拝すると考えたのです。皆様はどう考えられますか。
次に真理ですが、ここで礼拝に必要だと語られていることは、人の思い以上の、神の働きがあってこそ、われわれは礼拝に導かれると言う事実です。その神の真理を語る方がイエス様で、その言葉に導かれて我々が礼拝に集うのです。そのイエス様は、十字架に架かられ復活されたことが我々の礼拝に必要であったと語られています。それは罪と死の恐怖からの開放です。そしてイエス様の福音の言葉があり復活の希望があるのです。また礼拝は人の努力よりもまず先に神様の導きがあることを覚え、それに感謝しつつ礼拝に参加していきましょう。