イエス様の復活を心より感謝いたします。このイエス様の復活がなければ、わたしたちの最後の敵である死に対して我々の勝利はありません。イエス様の復活は、この死の力よりも力強いこと、そしてイエス様が我々の救い主であることを示されたのです。
このイエス様の復活に対する教会の熱い思いが、ユダヤ教の土曜日礼拝からキリスト教会の日曜礼拝へと大転身を遂げました。教会はシンボリックに十字架を掲げてイエス様の十字架の犠牲を覚え、日曜日に礼拝することでイエス様の復活を覚えるのです。
私たちはイエス様の復活を理解しようと思っても完全に理解することはできません。その現場にいた弟子たちでさえもイエス様の復活を理解できなかったのですから。つまりイエスの復活とは我々の想像を超えているのです。
よみがえられたイエス様は、ご自身が肉体を持っておられることを焼いた魚を一切れ食べることで証明されました。また復活されたイエス様が十字架に架かる前と同じように体を持っておられることを弟子たちに示したのです。
イエス様は聖書のことばと約束に忠実で、聖書のことばを重んじられます。さらにイエス様は聖書を悟らせるために、我々の心の目を開かれるのです。人の心を開き聖書を悟らせることができるのはイエス様だけです。この悟るという意味は知ることとは異なり、自分の心にしみこんで来ることです。わたしたちもイエス様によって日々心を開いて頂き、聖書の意味を悟らせてもらいましょう。
そして弟子たちがそうであったように聖霊の働きによって、イエス様の福音を宣べ伝えさせてもらいましょう。そのことが新らしい命に生きる者とさせて頂くことになるのです。イエス様を救い主キリストと信じるものは死では終わず、イエス様と同じように復活させていただけるのですから。そして永遠に生きる命の希望に預かることができるのです。共に主に感謝しましょう。