モーセは、しゅうとエトロの羊を荒野で飼っていました。ある時モーセは神に導かれてホレブの山で不思議な光景を見ました。それは柴の木が燃えているのに燃え尽きない様子でした。その時モーセは初めて神の声を聞きました。モーセはエジプトの王家で育ちましたので、エジプトの神々のことはよく知っていました。しかし聖書の神、唯一の神の存在は知らなかったのです。だからモーセが神からの声を聞いた時、あなたはどの神ですかと尋ねたほどです。それに対して神は「わたしはある」という自らの名を告げました。英語ではI AMと訳される神の名です。

この神がモーセに告げたことは「エジプトに行き、ヘブライ人(ユダヤ人)たちを開放せよ」とのことでした。これは自分がかつて捕らわれようとし、命を狙われた地に戻れということでモーセは恐怖心を感じます。さらにユダヤ人たちに神の言葉を伝えなければいけません。元々モーセは口下手だったのか、あるいはかつて命を狙われたことで、言葉を発するのが苦手になってしまったのかわかりませ。とにかくモーセは自分は「言葉の人ではない」と神様に告げて、その働きから逃れようとしたのです。それでも神様はモーセに神の言葉を同胞に告げよと命じます。さらに神様は嫌がるモーセに対して不思議なしるしを見せたのです。

もしかすると、わたしたちの奉仕が苦手なことを通して行われようとしているのなら、神様は新たなチャレンジを与えようとされている気がします。またそのチャレンジで苦しむ時にこそ、神に祈り、神の助けを心から願うようにと導かれているのかもしれません。またその葛藤を通して、今まで知らなかった苦労をより感じ、またその過程で得た新たなる知識や携わりかたが、その後の自分にとっても他の人々にとっても益になるような気がするのです。共にイエス様の歩みに感謝しつつ、イエス様と共に歩ませていただきましょう。