本日は母の日です。米国の母の日は、1907年5月12日アンナと言う人物が、亡き母アン・ジェービスを偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念の礼拝を行ったのが起源とされています。

本日まず覚えたいことは、この母の祈りについてです。本日のテモテに送ったパウロ手紙の一節で「わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、…感謝しています。…あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています」とあります。

パウロはテモテのことを、1章2節で愛する子と呼んでいます。つまりパウロはテモテの信仰的な意味で親であったのです。そのパウロが6~7節で「そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」とあります。この手を置くとは、按手の祈りをしたということです。その按手でパウロの内にあった賜物が、テモテにも分け与えられますようにとの祈りを込めたのです。その信仰はおくびょうの信仰ではなく、信仰的に大胆であれというものです。別の聖書箇所で、パウロはテモテのことを、胃腸が弱いところがあると書いており、もしかするとテモテには持病があり、神経質であった可能性があります。

私たちは母の涙の祈りに感謝したいものです。例えそのような母がいなかったとしても、イエス様が私達のために涙の祈りを捧げておられることを自覚しましょう。そしてかつてわたしのたちのために注がれた母親の愛の力、生み出してくれた母の苦しみにも感謝しましょう。そして更にイエス様を与えてくださった神様の愛のに抱かれていることを感謝し、この神の愛の信頼の中に生かされましょう。