皆さんは誰に一番イエス様のことを伝えたいですか。私がクリスチャンになった当時、一番イエス様を伝えたかったのは家族でした。しかし両親は仏教徒で、特に父親の父は僧侶でしたので難しと思っていました。父の口癖は、お前が永町家を継いだらキリスト教信仰について考えてみようでした。私自身留学中でしたので一時帰国した時にしか、家族に話せません。電話ではお金がかかるし、あとは手紙ぐらいでしか家族に伝えられません。ですので帰った時は祈りつつイエス様のことを家族に必死に伝えました。

イエス様は神でもあり、人でもあられます。人間イエスを覚える時に、私たちと同じような苦労を、いやもっと大きな苦労をされました。イエス様はエジプトから帰国後、ナザレの町に住みました。このナザレはエルサレムの都からとても離れた田舎で、エルサレムの人々からは、ナザレからなんの良いものが出ようかと言われるくらい見下された町でした。

イエス様一行は、この時ナザレで安息日の礼拝に集いました。この会堂司はイエス様の活躍をよく知っていたので、イエス様に説教を頼んだのです。イエス様が会堂で教え始めると、その教えに人々はたいへん驚きました。人々は「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われる、このような奇跡はいったい何か」と言わしめたほどだったのです。しかし人々はイエス様の家族をよく知っていたのでイエス様につまずいて、イエス様の言葉を受け入れることができなかったのです。イエス様の説教を受け入れることができないとは、本当にもったいないなと思ってしまいます。

私たちも誰かにイエス様を伝えたいと心から思い、そして祈ります。しかし何か祈りが空回りしているように思える時もあります。そのような時、イエス様でさえ故郷ではなかなかうまく伝道できなかったことを思い出してみたいものです。