先月私は念願の同志社大学を訪ねることができました。そこの神学部は日本基督教団にも公認され、多くの卒業生が教団の牧師となっています。その神学部を卒業した友人に色々と聞くと、信者でなくても入学できると聞き本当に驚きました。しかし未信者が牧師になれるのではなく、教団では牧師になるためには試験があるので牧師候補者に対して信仰歴などが問われていくからです。

日本バプテスト連盟系の3つの神学校では入学に際して、信仰やバプテスマを受けてからの年数の規定がありますので未信者は入学できません。西南学院大学神学部の神学生に対しては全国壮年会連合から授業料の全額の奨学金が与えられますし、他の2つの神学校でも、牧師を目指す本科生に対しては一部の奨学金が与えられます。また神学生を派遣した推薦教会も問われ、もし神学生が牧師を5年続けられないと受けた奨学金の返還を個人で、個人ができなければ推薦教会が返還しなければいけないので、その教会も責任が問われるわけです。

わたしたちの周りにはまだイエスさまを知らない方々、家族親戚がいます。イエス様が人となって、そこに行くことはできません。そのように伝道はイエス様だけではできないのです。イエス様の教えで動かされた人に神の聖霊の導きがあり、はじめて伝道が可能になるのです。イエス様だけで伝道が完成するならば、わたしたちも教会も必要がないのです。イエス様が「収穫のために働き人を送り出すように主に願いなさい」と言われたのかは、共に働く人々が必要だからです。「収穫の主に願え」とは祈りなさいと言うことです。

祈りは我々の想像を超えた奇跡を導くのです。イエス様はわたしたちにも祈れと言われ、その結果私たち自身を派遣されることもあります。我々もこの教会のための新たな働き人、牧師を目指す人が与えられますように祈りましょう。