皆さんは動物を飼ったことはありますか。その動物がペットなのか家畜なのかでも、ずいぶんと飼い方や育て方は違ってくると思います。聖書で主に登場してくる動物といえば羊です。ユダヤ人にとってみると羊はとても身近な家畜でした。それ故にイエス様は、羊を通しての例え話しをたくさん語られたのです。そしてユダヤ人は羊の世話について比較的馴染みがあったので、イエス様が羊について語ると「なるほど、なるほど」と思えたことでしょう。

まずイエス様は自分は羊の門だと語ります。門があるということは囲いがあり、何かと何かを分けていることになります。または囲いの中のものを守ることにもなります。また門は害を与える何かの侵入を防ぎます。次にイエス様が「わたしは良い羊飼いだ」と宣言されています。このことは羊の門にも深い関連があります。そしてなぜ良い羊飼いだと言えるのかは、「羊のために命を捨てられるから」なのです。また囲いに入っている羊だけではなく、囲いの外にいる羊に対しても、イエス様は導く使命があると言われます。そう思うとユダヤ人以外の人々を導く強い思いが、イエス様にあることが理解できます。そしてイエス様に招かれた者たちが一緒になって一つの群れになるのです。これが教会のあるべき姿なのです。

わたしたちは聖書を読むと励まされます。その励ましは、うわべだけではなく心に染み通るようなものです。それは私達の心がイエス様こそ私の良き飼い主だと知っていて、その声と言葉を認識できるからです。そして最後にイエス様は自らの十字架に言及します。それは「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」ことと「わたしは命を、再び受けるために、捨てる」ことです。つまりイエス様の十字架は、わたしたちのためであり、さらには復活のためであるのです。わたしたちの良き羊飼いであるイエス様に従いましょう。