佐藤彰先生は、かつて福島第一原子力発電所に最も近い教会の牧師でありましたが、その教会が建てられてから原発ができたそうです。現在の教会堂は祈りの中で、いわき市に建てられ、人々は元の教会の地、富岡町を向いて礼拝しております。その教会には以前の教会を写したステンドグラスがありました。また礼拝堂に至るドアには3つの十字架があり、まさに主の十字架を通して礼拝できる幸いが表されております。
その震災で教会員の一人の方が津波で、数名の方々が震災関連で召されました。その方々の遺骨が借り納骨堂に治められております。また多くの教会員が泣く泣く、その慣れた地を離れていわき市に移られ、またその他の教会員は今も尚、全国に散らされておられるそうです。
佐藤先生ご夫妻は震災時、義理の息子さんの神学校の卒業式のため千葉におられ、なかなか福島に戻れませんでした。そして福島に戻ってからは避難生活の連続でした。共同生活ではプライバシーが無く、布団や食料なども無い時がありました。そのように初期段階では多くのことを即断しなければいけませんでした。そんなある時、奥多摩の福音の家から来ないかとのお誘いの連絡があり迷われたそうですが、主の導きと感じて、施設に約1年の間お世話になりました。とても辛い1年でしたが、主の恵みや人々の暖かさに触れられました。
教会の創立に関わられた宣教師のビジョンは、いわき市伝道でしたが、佐藤先生は、まさかこのような経緯でそれが実現するとは夢にも思っておられなかったそうです。佐藤先生のお連れ合いは結婚当初、何度か多くの人々と旅をする夢を見たそうですが、その夢が正夢になり、まさにヨセフの夢のようだとも話されていました。
佐藤先生はこの経験より、ピンチはチャンスになられると語られておられました。どこにいても主は共におられ、自分が落ちたように思われてもそこに主がおられ、主の導きがあるのだと。