聖書の言葉は多くの人々の心に影響を与え、その人の人生を変えてきます。皆様も、そして私もその一人であります。私たちの教会の唯一の信仰の指針は聖書の言葉です。ですから聖書の言葉に対して疑問を持つことは、自分の信仰に対しても疑問を持つこととつながっていくのです。もちろん翻訳の問題や聖書の当時の風習と現代との違いからくる分かりにくさはあるでしょう。しかし聖書の基本的な見方は、神の言葉であり、わたしたちの信仰の唯一の基盤だということです。

12節の冒頭で「神の言葉は生きており」とあります。これは神の言葉である聖書が生きていて、人格を持っていることを表しています。神の言葉である聖書は、人格を持つので一人ひとりに対して違う対応をしてくれるのです。

この9月は日本バプテスト連盟が定めた教会学校月間です。日本バプテスト連盟以外では、教会学校は子どもたちだけという教派が多いのです。しかしわたしたちが属するバプテスト連盟では、教会学校は全年齢層で行われています。そのルーツを探ると、バプテスト連盟の基礎を築いてくださった米国南部バプテストの大きな影響があるのです。

教会学校では、お互いに聖書を学びあえるので、とても素晴らしい場です。礼拝ではどちらかと言いますと、牧師が語る聖書の言葉を一方的に聞きます。しかし教会学校では双方向に学びあえるのです。教えるものも教えられるものから学べるのです。さらに教会学校教師は、その準備のために聖書から学ぶ恵みを味わえます。一番教会学校で恵みを得たければ、教会学校の教師になれと言われているくらいです。

私は神学校行きを決意した頃から教会学校の先生になりました。現地のアメリカ人が集う教会で日本語の教会学校を立ち上げて1年教えました。その後神学生となり4年間青年課を担当しました。それによってみ言葉と格闘しながら準備し、メンバーの方々と恵みを共にできました。