皆さんは、イスカリオテのユダに対してどのようなイメージをお持ちですか?一般的に言われているのは、イエスの12弟子のひとりで、お金に汚く、銀貨30枚でイエスを売り渡し、最後はその罰で悲惨な死を遂げた裏切り者の代名詞、聖書の中から、そういったイメージをユダにお持ちではないでしょうか。

私がこのテーマを選んだのは、聖書を読んでいて、イスカリオテのユダの裏切りや、その後に与えられた、今まで当然と思っていたユダへの罰が本当はどうだったのだろうという疑問がわいてきたからです。

イエスは人を罪びとと定めず、罪を犯したものを七の七十倍までも赦しなさいと言われました。これは7×70の490回赦せという意味ではなくて、無限大に赦せということです。完全数7の70倍は無限大を意味しています。そして十字架上で流された血でもって究極の愛と無限大の赦しを示してくださいました。そのイエスの傍らでこのような残酷な、報復のような事が、まるで旧約聖書の預言の成就というために起こってよいものでしょうか?

ユダは罪人としての烙印を2000年間ずっと押され続けています。ユダには赦しはなかったのでしょうか?

人を極みまで愛することを教えたイエスが、その愛弟子を、ユダを含めて赦さないはずはありません。

私たちはこのユダの裏切り物語をどのように読み解いていけばよいのでしょうか。聖書一つ一つを読み比べたり、ヘブライ語やギリシャ語の言語を調べて吟味したりするのは、本当に大変なことです。私たちにできることは、心の中に自分なりのイエス像を描き、そのイエス像に沿って、イエスだったらここはどう思い、どう行動するのだろうかと思いめぐらすことで、その後のユダの赦しのストーリーを作っていくことだと思うのです。

そして今まで学んだ聖書の中から、また今まで聞いた説教の中からインプットされてきた、当然と思われてきた、大罪人ユダのイメージを、新たに作り変えても良いのではないでしょうか。