パウロはコリントに1年半ぐらいおりましたが、そのことを通してコリント教会が生まれていったのです。パウロはどれだけ祈り、どれだけ人々にイエス様の福音を伝えたのでしょうか。特にユダヤ人社会とは違う、ローマやギリシアの文化の中にある、このコリントでイエスさまの福音を伝えることはかなり大変であったでしょう。そのパウロの祈りと忍耐の中で、このコリント教会が設立されていきました。そしてパウロはコリントを離れて別のところで伝道を続けていったのです。その後パウロが耳にしたのが、パウロに対して疑問をもつコリント教会のことでした。

ここではまずパウロは「だから、わたしたちは落胆しません」と書いています。落胆を原語で見ますと、疲れない、怠けない、つまり働きを諦めないと言う意味になります。パウロがこのように落ち込んでいたら、パウロに対して疑問を持つコリントの教会に手紙を送ることはなかったでしょう。しかしパウロは忍耐強くコリントの教会に手紙を送り、自分が伝えたキリストの信仰に留まるようにと説得し続けたのです。「私が伝えた福音にとどまりなさい」と。

パウロは「たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます」と語るのです。諦めるどころか「日々新たにされる」のだと強調したのです。すごいですね。留まるだけではなく、日々新たにされるのだとパウロはコリント教会を励ましたのです。

教会に課題や変化が与えられそうになった時に、わたしたちの好き嫌いで、今後どうすべきかを判断しているのでしょうか。あるいは神に祈って、そしてみ言葉に照らし合わせながら、神様どうすべきですかと問うことが必要なのでしょうか。神に問うこと、祈ることによって、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていくのだと確信していきましょう。