このエフェソ信徒への手紙は、パウロがローマの獄中から三年間伝道に携わっきたエフェソ教会の人々に書き送ったものです。1~3章までは、キリストにあって罪赦されたことの素晴らしさを語り4章ではキリスト者のあるべき歩み方を伝えます。それはまとめると「互いに赦し合いなさい」と勧めるのです。

無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり、などを新約聖書では人間が持つ古い罪の性質だと言います。人間は生まれながらにしてこれらの古い性質を身にまとっているのです。しかしキリストにあって、イエス様を信じていくと人は変えられるのです。

宗教改革者のルターは、この古い罪の性質を脱ぎ捨てるという説教をよくしたそうです。そして神により変えられるのだと度々語ったそうです。この古い性質を脱ぎ捨て変えられることは、バプテスマ式にも例えられます。バプテスマを受けることは、イエス・キリストへの信仰告白をして、古い自分の性質が死に、新しい自分に生きることです。バプテスマで水に浸かることによって、古い自分の性質が死に、水から引き出されることで新しく変えられるのです。

イエス様の十字架により赦されたものとしてお互いに赦し合うことこそが、神様に委ねられていることです。まさに十字架の縦棒が神から赦された私、そして横棒が我々の関係性です。神に赦されたのだからお互いに赦し合うのです。

昨日まで私は韓国を訪ねました。韓国に行くと日本人が朝鮮民族を虐げた数十年を思い出します。しかし韓国のクリスチャンたちは、そのような日本人を憎むのではなく、率先して祈ってくださるのです。先日の連合女性会の話し合いの中で、韓国バプテストの女性会の方々が日本の連盟の女性会と協力したいと言うことを聞きました。私はとても素晴らしいことだと思いました。まさに過去の日本にとらわれず、祈り支え、協力したいと言っておられることは本日の聖書の言葉のようです。