聖書は、この地上が永遠ではないと語ります。高度経済成長期の日本では人間の生活はどこまでも発展していくのだと勝手に思い込んでいました。しかし今日では誰もが地球の温暖化、オゾン層などの環境破壊が進んでいることを知っています。ですからイエス様が言われた言葉が、ただの脅しではないと感じるのです。
聖書が「万物の終わりが迫っています」と告げても、それはただこの世が滅びへと向うのを絶望的に語っているわけではありません。イエス様と向き合い望みをもって、福音の言葉に耳を傾けることを勧めるのです。実は万物の終わりとは、神様が全てを完成され、全てを新しくされる時なのです。
その神様のご計画とは、神様に背いた人を救うためでした。それは愛する独り子を世に遣わされるほどの神様の深い愛で成し遂げられるのです。そうならば、どんなに悪があり破壊的な現実の中でも、神様に望みをおけることができるのです。
聖書は、私たちに「神のさまざまな恵みの善い管理」を委ねられています。優れた管理者は自分の持っているものが自分のものではないことを知りつつ、主人から預かり、それをどう用いるのかが問われているのです。
パウロは、コリントの教会に宛てた手紙で、私たち一人ひとりに神様から(ギリシア語の原語で)カリスマを与えられていると言います。「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」とあります(コリント信徒への手紙一12章7節)。この場合の「全体」というのは、キリストの体である教会を示しています。「全体の益となる」というのは、教会を造り上げるということです。イエス様が再び来られる終わりの日まで、私たちは、それぞれのカリスマである賜物を生かして互いに仕え合いながら、キリストの体としての教会の交わりを造り上げていくのです。それを神様が望んでおられます。