人はなかなか新しいことにチャレンジができません。もしかすると年を重ねるごとに、その傾向は強くなるのかもしれません。現在神様によって、あることを示されているのだけども、なかなか踏ん切りがつかなくてと思い悩んでいる方々も、本日の聖書箇所を通して、今がそのチャレンジの時だと思っていただけたら幸いです。
イスラエルの民たちは、40年間やろうとしてできなかったことを、これから実行しようとしています。それは神様のご計画からすれば、当たり前のことなのですが、神様の当たり前は人には不可能と感じること多いのです。本日のこの場面、前にはヨルダン川があります。この季節雪解けで水量が多かったようです。その水量が多い川を全住民が渡るのです。まず先頭に立つのが契約の箱を担ぐ祭司でした。つまり人々は契約の箱に代表されるみ言葉に従っているのです。
契約の箱が先頭に立って歩むべき道を示したので、その後に従って歩めば、初めて体験する新しい所においても、道を見失ってしまうことはないのです。そして契約の箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川に足を踏み入れた時から、川の水はせき止められました。そして祭司たちは民が全て渡り終えるまで、ヨルダン川に留まったのです。これが意味することは、人々の最も大切な時にみ言葉がそこにおられるということです。
信仰においても、聖書を読み解説書を読んでも、それを実践しないと、泳ぐ方法の本を何冊も読んで泳げないと同じように、実践しないと何もなりません。実践の第一歩を踏み出さないと、いつまでたっても同じところに留まるだけなのです。聖書の言葉は実生活に応用してこそのみ言葉なのです。今までしてこなかった歩みを、その第一歩を踏み出す時に、素晴らしい神の恵みの中へと入ることができるのです。神様の恵みや祝福は、我々が思っている以上です。み言葉に自分を委ねて生活の中で実行しましょう。