わたしたちは幼い頃、比較的簡単に将来の希望の職業を考えられます。しかし成長し、だんだん自分のことをわかってくると、誰でも将来何をしたら良いかと悩みます。そして高校や大学を卒業する前に、職業選びに悩むのです。そして自分にとっての天職は何だと自問します。

そして本日私達は、この聖書箇所からエレミヤがどのようにして神様に用いられようとしていくのかを学ぼうとしています。それと共に私達はどのように神様に用いられてきたのか、あるいは若い方々ならば、どのように神様は用いようとされるのかのヒントを、ここを通して求めていきましょう。

エレミヤは最初、神様からの預言者としての導きを拒みました。それは自分はまだ若すぎると思い、預言者としての十分な準備ができていないと思っていたからです。その時のエレミヤは20歳前後で、今の日本でいえば大学生ぐらいの年齢です。

しかし、神様は準備ができていないどころか、まさにそのタイミングしかないという「時」を選んでエレミヤを呼んだのです。このあとエレミヤは預言者になることを決心しました。その後のエレミヤは、非常に長く40年もの間、預言者として活動しました。神様は、このように息の長い預言者としてエレミヤを召し、育て上げたのです。ですからエレミヤはまだ若く、訓練を積んでいない段階で召されたのですが、神様にとっては全く問題がなく、むしろエレミヤを必要としました。「鉄は熱いうちに打て」ということわざがあるように、幼さを残すエレミヤを試練を通して鍛え上げ、熟練した神のスポークスマンにまで成長させたのです。それにはエレミヤが若く柔軟さをもち、色々なことを吸収できる段階で呼ぶ必要があったのです。神様はエレミヤをどのような預言者に育て上げるのか、はっきりとしたヴィジョンがありました。つまり神様は若者に期待する非常に優れたコーチなのです。