本日は礼拝にスポットを当てていきたいと思います。では旧約聖書における最初の礼拝はどこにあるでしょうか。それは創世記4章のカインとアベルの捧げ物の礼拝です。そこでは兄カインが土の実りを献げ、弟アベルが羊の群れの中から肥えた初子を献げ物として持ってきました。このことからも旧約聖書では、献げ物をすることが、神様を礼拝することにつながっているとよく分かります。
キリスト教会の礼拝においては動物をほふって、その血を流すことはしません。それは私たちの礼拝が、イエス様が十字架上で血を流して死んでくださり、復活して天におられることによるからです。そのイエス様の十字架の執り成しがあってこそ、わたしたちは礼拝に参加できるからです。またイエス様の名によって礼拝をささげるとは、祈りとも共通があります。それは私たちが祈りの中で「天の父なる神様」と呼びかけ、最後に「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」と祈ります。このように私たちは大祭司イエス様がおられたからこそ祈りも礼拝もささげることができるのです
私たちはイエス様を信じて神の子とされ、父なる神様のみ言葉を聞き、祈ることができ、そして賛美をささげています。本来罪人が、このように礼拝をささげることができるのは考えられないのです。しかしこのとができるのは、ひとえにイエス様の十字架での赦しがあったからなのです。そのような機会が与えられている私たちなので、遠慮せずに神のおられる恵みの座に近づくべきです。大祭司イエス様のとりなしによってささげられる礼拝でこそ、私たちが神様の憐れみ、助けをいただける恵みの座なのです。それゆえ、私たちは弱いときにこそ、助けをいただくために礼拝に出席しましょう。16節「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」