本日もスチュワードシップのことを覚えて礼拝を捧げましょう。今回は牧会について聖書より考えていきたいと思います。みなさんは牧会についてどのように考えておりますか。牧会は牧師の専売特許でしょうか。以前は牧師のいない教会を無牧と言われていました。この牧は牧会を意味します。しかし、近頃は無牧師教会と言われています。それは牧師がいなくても教会員の皆で牧会ができるから、そのように表現するようになりました。
その牧会を英語ではパストラルケアーと言い、まさに牧師たちが行うものとしての意味付けが強くあります。この「牧者」という言葉は、ギリシャ語では、ポイメーンで、「羊飼い」という意味があります。イエス様は、ご自分を「わたしは良い牧者である」(ヨハネ10章14節)と言い表されました。後にペトロは、キリストを「魂の牧者であり監督者である方」と呼びました(ペトロの手紙一2章25節)。つまり教会の群れをケアーすること、お世話をすることが牧会ということになります。
その家畜を世話をすることといえば、わたしは祖父母の家で飼っていた、牛、ヤギ、鶏を思い出します。今考えると祖父は大変なことをしていたのだと思います。またペットであった猫のことも思い出します。家畜に餌をやったり清潔に保ったり、病気になればそれなりの治療も獣医に頼まなければいけません。そのことを考えますと牧会についても色々なことが考えられるなと思います。
少し難しい話になってしまうかもしれませんが、ドイツの実践神学者のトルナイゼンは、牧会とは対話であると言っています。対話と言っても神の言葉を届けることです。つまり聖書の言葉を誰かに伝えることです。そう考えますと礼拝のメッセージや教会学校や祈祷会での聖書の学びが牧会になるのです。そう考えますと、牧会の最終目標は、その人が教会に来ていただくように配慮することなのですね。