イエス様は霊(神様の霊である聖霊)の導きによって、荒れ野に行かれました。

悪魔はいかにも悪者としては登場しません。真っ黒な姿で角としっぽが生えているような姿ではないのです。悪魔は十分な説得力を持ってイエス様の前に登場しました。そしてイエス様が神の子であることを否定せず、むしろ「神の子なら」と誘いました。その時のイエス様の空腹さを悪魔は知り、イエス様に飢えを自分の力で解決してみろ。そうすれば今の苦しみは簡単に解決できるではないか。そんなに苦しまなくていいから、自分の力を自分のために用いればいいじゃないかとけしかけたのです。悪魔はイエス様の味方を装って誘惑したのです。

また悪魔はイエス様が神殿の頂から飛び降りるならと危険な状況を作り出し、神の助けを要求することを求めました。まるで自分が神になり神をコントロールするかのようにです。イエス様はその誘惑を退けて、神に信頼し、神を試みない方法で自らの道を進むことを宣言されたのです。イエス様は楽な道を求めず、困難な道を歩むことにしたのです。それは十字架に進むことの布石でした。

イエス様は悪魔に従わないで、自分の力によるのでもなく、ただ真の神に従う道を追い求めていったのです。Easy Wayを行わず、つまり楽な道を選ばず、ショートカットを選ばず、近道をしないで神様に従うことを決意し続けたのです。自分の好きなように行わず、自らの力や能力を誇示せず、神のみ言葉に従い、愚かな宣教と十字架の道を選びました。イエス様は、いずれの誘惑にも聖書の言葉を用いて、悪魔に対抗したのです。

これが僕としてのイエス様の姿です。わたしたちも、このイエス様が選ばれた道を突き進みましょう。近道をせずにイエス様にあって、教会生活を共にしながら真の神に従い、神だけをイエス様の名のもとに礼拝し続け、神の言葉を尊重して従い続けていきましょう。