本日は2025年度最初の礼拝です。それぞれがいろいろな思いで新たな年度を迎えようとしています。主なる神の摂理に委ねながらも、キリストにあって主に感謝しつつ新たな年度を迎えることを祈りましょう。
今日ここを選んだのは2025年度の若松バプテスト教会の年間主題に選ばれた箇所であるからです。そのように選ばれるということは、素晴らしい聖書箇所だからです。本日はその選ばれた14節後半だけではなく、その前後の箇所12~17節を選びました。
このコロサイ信徒への手紙は、パウロができて間もないコロサイ教会に書き送ったものです。それはイエス様を信じイエス様に従う素晴らしさを、その教会とともにパウロは喜んでいるのです。コロサイ信徒への手紙1章の最初を見ると、教会への挨拶後に感謝の祈りが続きます。それが最終的にコロサイ教会のことを神様に執り成す祈りに変わっているのです。この祈りこそが、この手紙を書こうと思ったパウロの目的につながっています。
どんなに教会の一つ一つが素晴らしくても、教会をつなぎ合わせる、結ぶのはキリストの愛(アガペ)でしかないと断言するのです。つまり教会を完成させるものは何物でもなく愛だと語ります。つまり愛なくして教会は教会であることはできないのです。愛こそ最高の教会の徳なのです。
神の赦しの深さを身に味わったものとして、隣人に対する赦しが流れ出ることをパウロは言っています。つまりイエス様は私を赦してくださった。教会をも赦された。そのことを経て、私たちは隣人に対してどのように行動したら良いのか。どのようにしてあの人を赦したら良いのかと問われています。その誰かを赦す苦労を体験していくことで、キリストの十字架を体験できるのです。その使命をパウロは私たちに勧めています。
つまり全て聖書が語る素晴らしいとされるものを、まとめたものが愛なのです。そして教会は愛により喜べるのです。