イエス様は、安息日に入る直前に十字架で血を流し亡くなりました。その後数時間間あまりで、全ての葬り作業を完了しなければいけませんでした。密かにイエス様を信じていた議員、アリマタヤのヨセフはピラトの元に行き、その遺体の引き取りを承諾してもらい、その埋葬を行ったのです。

安息日が終わった日曜日の朝、イエス様の身近にいた婦人たちは、イエス様の墓に行き、丁寧に葬ろうとしました。女性たちが墓に行く途中、大きな地震が起きました。そして主の天使が天から降りてきて、墓の前に置かれていた石をわきへ転がし、その石に座ったのです。女性たちがこの墓に着くと天使たちは「恐れことはない」と語りかけます。み使いは女たちに、イエス様はここにいないと宣言しました。それはイエス様が弟子たちに前もって言われていたように、死よりよみがえって復活されたと伝えたのです。その証拠に天使は空の墓を見て、そこにイエス様の遺体がないことを確認せよと婦人たちに言いました。

人にとって一番の悲しみは死です。もしイエス様が死んでそれで終わりだったら、私たちにとって人生の終焉はまさに死です。しかし聖書を通して、人の終焉は死ではなく、イエス様のように、人は死んでも復活できるという希望が与えられました。まさに大逆転の思いが与えられたのです。

そのようにイエス様の十字架の死と復活は私たちの信仰にとって、とても重要な意味を持ちます。それは、人は死では終わらないと言うことです。死の後があります。

このようにイエス様の復活があったから、私たちに希望があるのです。死に打ち勝ち復活されたイエス様こそ、我々の救い主であり望みです。そしてイエス様を信じる者には、イエスさまの復活の命の希望があるのです。わたしたちに与えられているのは「おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊」(テモテ二1章7節)なのです。何事も恐れずに、主なる神様に祈り、礼拝を捧げましょう。