本日は、この箇所から語られるトマスのことよりも、聖書の書かれた目的に重点を置いて読み解いていきたいと思います。31節には、聖書の言葉の書かれた目的について、このように説明されています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである。」

聖書には、神様が求めている読み方があります。テモテへの手紙二3章16節には、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」とあります。聖書を記した人々はいますが、まことの著者は神様一人です。神様がいろいろな人々を通して記されたのが聖書です。ですから、その人の癖や強調点も関係していると考えられます。

では、まことの聖書の著者である神様の意図はどうでしょうか。このヨハネによる福音書では、「あなたがたが、イエスは神の子メシアであることを信じるため」と記されています。福音書はイエス様の言葉と業を記したものですが、内容を見るとイエス様の3年間の歩みの中で大きな偏りがあります。それは福音書はイエス様の最後の受難と復活に集中し、特にヨハネの福音書では、21章のうち13章から既に、最後の1週間の内容になっています。そのような文量でイエス様が神の子であることを告げようとしているのです。

この疑い深かったトマスですが、この日にイエス様と出会えたことで彼の人生は変わりました。信仰者でも失敗します。トマスはまさに信仰的に失敗しました。しかしトマスは、このように復活のイエス様に出会えたことで、イエス様を伝えるものになりました。トマスはインドにまで赴き、イエス様の福音を伝えたのです。私たちも聖書で伝えられたイエス様の言葉を、私という楽器を通して神様に弾いていただきながら伝えさせていただきましょう。