このフィリピの信徒への手紙の前半は、教会が一つとされる大切さが語られています。では教会は何によって一つとされるのでしょうか。それはイエス様によるのです。十字架によるのです。しかし教会に集う方々を見ると全く違う人たちばかりです。性格、バックグラウンドなどがバラバラです。それは教会が誰でも集える場所だからです。だからこそ様々な人々がいるので、一つのことに対しても考え方が違うことが度々あります。
皆、慰めを必要としています。教会に集る方々も、お互いの慰めによって一つとされるとあります。次に霊による交わりによるとあります。私はいつもその‘霊’を信仰と言い直しています。教会は信仰による交わりが必要なのです。教会の皆がイエス様を信じる信仰で交わる時に一つになれるのです。だから何かのために奉仕を共に行い、イベントの準備をする。あるいは食事を共にすることは大切です。そして最後に愛が大事だと言うのです。この愛は友情の愛です。兄弟姉妹の愛です。教会は一つの家族だという思いです。
謙虚に、隣人を自分より優れていると思って接しなさいと勧めています。イエス様と自分との関係が、自分と他者との関係においても活かされるようにと教えてくれています。ですから、基本は自分がイエス様とどのように向かい合うかが問われています。そしてその信仰の姿勢が、自分の隣人との接し方で証明されるのです。
最後に10~11節には「こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」とあります。
このようなことを聞いたことがあります。サタンは神を賛美するものに近寄りたがらないと。まさに賛美は力です。信仰的な力です。また賛美の喜びを見た人は、その教会の魅力を知りたがり入りたがるのです。