両親との関りが人間関係で一番近いでしょう。そこから十戒の対人関係の戒めが入るのはごく自然です。隣人と共に穏やかに生きることが、自分の心の平安につながることは容易に想像できます。だから、家族との平安が自分の健康に良い影響を与えると私は考えます。

私は前々から教会の礼拝の中で5月の母の日、6月の父の日をまとめて、家族を感謝する日とできたら良いなと考えていました。そのように行っている教会は既にあります。家族の理解を得て礼拝に集うことができていたら、そのことを家族を感謝する礼拝で、その意を家族に表せたらどんなに素晴らしいでしょうか。

神様を優先にするということは、家族を軽く見ても良いということではありません。テモテへの手紙一5章8節では「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。」とあります。イエス様は本日のみ言葉のように、家族に冷たい態度をとっているように思えますが、その関係を軽く見ていません。母マリヤはイエス様の死や復活の際にも会いに来ていますし、弟たちもイエス様の昇天後、教会の働きに尽力しました。神様が私たちに求められていることには、私たちが家族を愛することも含まれているのです。

イエス様は、ルカ8章21節で「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と言われました。イエス様は家族との縁を切って、教会の人々を大切にしたのではありません。神のことばを聞いて行う人たちは、イエス様にとって「家族と同じ」ように大切なのだと語っているのです。つまり教会に集っている人々、私たちはイエス様の家族なのです。

私たちがたとえ、結婚していなくても、子どもがいなくても、教会にはイエス様を長子とする家族がいるのです。つまり自分の子や孫や両親や祖父母のような家族がいるのです。