パウロは本日の箇所で勝利を目指してスポーツに打ち込むアスリートの姿を例にして、自分自身の伝道にかける生き方、またキリスト者のあり方について熱心に語っております。「あなたがたも賞が受けられるように走りなさい」という言葉はそのまま陸上選手やプロスポーツの選手に励ましの言葉として贈ることができます。でもなぜパウロは突然スポーツを例に出して語り始めたのでしょうか。
聖書の時代コリントの町は今の日本のようでした。古代ギリシャには四大競技会と呼ばれるスポーツイベントがあり、古代オリンピックと並ぶイストミア祭というのがあり、コリントはその開催地でした。この大会は二年に一度開かれていて、多くのコリントの群衆がイベントに熱狂していたのです。パウロもコリントの人たちの間で、この大会がよく知られていたことを前提にして、それに登場するアスリートたちを、ここでたとえに出したのです。
ここで覚えておきたいのは、クリスチャンがアスリートであるということは個人競技であるよりも、むしろ団体競技の選手だということです。パウロはここでボクシングや陸上選手のような個人競技を例に出していますが、彼の教会についての教えを考えると、クリスチャンが団体競技のアスリートであることは明らかです。スター選手はいなくとも、皆が助け合い、支え合う教会を立て上げるために、私たちも歩みたいと願うのです。
そして朽ちない栄冠は、つまり永遠の命や福音と思えます。それはイエス・キリストの喜びの栄冠で、金や銀や銅メダルではないものです。狙いを定めて何が大切なのかを探り努力するのです。そのために節制するのです。パウロは他の人々に福音を伝えながら自分が失格者(試験に落ちる)にならないために、ひたすら生きました。「コリントの人よ、共に走ろう」とパウロは呼びかけているのです。わたしたちもパウロの姿に倣いましょう。
