何週間か前に、梅雨の季節となりましたが、先週から梅雨明けかなと思えるような暑さがやって来ました。わたしたちの普段の何気ない会話で、「梅雨はうっとうしくて嫌ですね」と聞きます。しかし昨日開催されたあじさいコンサートの名称にもなっていますアジサイは、この梅雨の季節に色鮮やかに咲きます。わたしたちは、このジメジメした季節の悪いところばかりでなく、良いところも見つけて過ごしたいと思います。

バビロニア捕囚は、ユダヤの民にとって大変苦しい出来事でしたが、この苦しみを通して、ユダヤの民たちは整えられました。まずはバビロニア帝国には寛容政策があり、支配した人々の信仰や国民性を尊重しました。またこの苦しみを通して、ユダヤ人は神の救いを求めたのです。最初に、神殿に代わる礼拝場所であるシナゴグができました。それはバビロニアでは神殿がなかったので、新たなる礼拝場所を求めて人々が生み出したからです。このシナゴグは現代の教会でもあり、学校でもあり、コミュニティーセンターでもありました。

さらにはこの捕囚の期間を通して旧約聖書の編纂が導かれたのです。捕囚前に神殿で律法が発見されたことも大きかったでしょう。そして聖書を通してユダヤ人のアイデンティティーを保持でき、後々のユダヤ人の信仰を作り、さらにはキリスト者たちの信仰のベースになる旧約聖書へとつながる非常に大きな基盤となったのです。

ユダヤ人たちにとって雨は、非常に大切なものでした。それはユダヤの地が比較的雨が少ない土地であったからです。我々が思う以上に雨の存在は神様からの祝福であったのです。神様は捕囚からの開放の言葉を預言者たちを通して、ユダヤ人たちに与えておられたです。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント信徒への手紙一10章13節)