皆様は神様と自分をどのような関係として見ておられますか。あるいはイエス様と自分の関係をどのように考え、あるいは信じておられますか。わたしは神様との関係を親子だと思っております。皆様は今、何を求めておりますか。それは個人的、教会的、あるいは仕事や健康について神様に祈り求めておられると思います。本日の聖書箇所では「求めなさい」と言われています。そもそも誰に求めるのか。このことは大切な問いです。

まさに親というものは子どものためにどれくらい自分を犠牲にするのでしょうか。私の父親は晩年にイエス様を救い主と信じました。それは連れ合いの死後でした。父親は2歳の時に父親を亡くし、10歳くらいで母親の再婚相手である新しい父親ができましたが、今で言うDVで苦しみました。父親にとって神様を天の父なる神様と呼ぶ時、どのような思いをしたのか分かりませんが、それでも父は祈る時には「天の父なる神様」と祈っておりました。

私たちには自分たちの未来は分かりません。しかし神様は場所も時も俯瞰的に見られる方です。それは宇宙のすべての空間も、時間も神様がお創りになったからです。そのように全知全能の神様が、わたしたちを子として扱われておられるのです。わたしたちを愛して導き、そして鍛えてくださるのです。

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」と言われます。いわゆる黄金律です。英語ではゴールデンルールと言われるものです。神を愛することと、隣人を愛することを合わせて旧約聖書、いわゆる律法を成就すると言われます。

わたしたちは多くの欠けを持ちます。その欠けを知るゆえに、人から何をしてもらったら良いかを知るものです。もしかすると、そうだからこそ神様にわたしたちは呼び止められたのです。その欠けを持つわたしたちだから、他者に何が必要なのかと心を配ることができるのです。