わたしたち北九州市に住む者にとって、長崎の原爆の犠牲には大きな意味があります。北九州市の代わりに長崎が被害を受けてしまったからです。小倉北区の勝山公園内に、「長崎の鐘」(複製)があります。この「長崎の鐘」(アンジェラスの鐘)は、長崎の旧浦上天主堂の双塔に二基あった内のひとつで、原爆により崩壊した建物の瓦礫の中から掘り出されたものです。北九州市は「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」を建立して、1976年に長崎市から「長崎の鐘」が贈られました。

ここの2章14節には「実に、キリストはわたしたちの平和」と書かれてあります。キリストこそ平和だと宣言しているのです。また17節にも「平和の福音」という言葉が出てきます。キリストは今でも生きておられるのに世界平和は実現しないで現在に至っています。いまだにこの世界では憎しみの対立が続いているからです。

日本のキリスト教の歴史を考えてみても、先の大戦中、全てのキリスト教会は、政府によって一つとされていました。さらにキリスト教会は皇居に向かって礼をしてから礼拝を始め、また戦闘機を一機日本軍に送りました。つまりキリスト教会が戦争に加担してしまったのです。

イエス様は本来、神と人との障壁を取り除いてくださいました。それがキリストの十字架の意味です。そして、そのキリストの教えに聞くわたしたちも、自らに抱く敵意を取り壊す役割があるのです。それらを神に委ねていくのです。吉田敬太郎先生の言われたように「汝復讐するなかれ」です。敵意をキリストの十字架につけ敵意から自由にされるのです。

マタイによる福音書5章9節で「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」とあります。イエス・キリストを救い主と信じたものは神の子と呼ばれます。つまりイエス様を信じた者は平和を実現する大きな役割が委ねられているのです。平和を実現する人々になりましょう。