ガラテヤの信徒への手紙は、パウロによって、紀元49年に書かれたとされています。救われる為にはみんなユダヤの律法に従わなければならないと教えた律法主義。それにパウロは反論し、キリスト者の信仰と自由を思い起こさせようと、ガラテヤの教会に向けて書かれた手紙です。

宗教改革者マルティン・ルターの著書『キリスト者の自由』(1520年)には、「キリスト者は、すべての人から自由でありつつ、すべての人の僕になる」という逆説的な定義が書かれています。「弱いときにこそ強い」など聖書には逆説的な事が多く語られています。その御言葉が私たちの経験となるとき、私たちは揺るがない安心と、罪の奴隷状態からの自由が与えられます。自己中心的な生き方はむしろ自由ではなく、欲に振り回された奴隷状態、不自由な生き方です。神様の目的から外れることを、聖書では罪と呼びます。その的外れな罪からの自由、罪からの解放です。

ルターは、仕える自由、隣人を愛する事への自由が与えられていると強調します。罪からの自由を与えられている者として、隣人の見た目や状態だけに対処するのではなく、その背景にある「痛み」に目を向けられるか、と発想の転換を問われているように思います。私たちが罪深く滅ぶべき存在であったにも関わらず、イエス様は自由な意思で、私たちの代わりに十字架での死を自分の事としてくださいました。

「隣人を自分のように愛す」の「自分のように」は相手の痛みを「自分の事のように」受け止めることができるかです。隣人とは「相手」とも訳せます。苦しみや悲しみの中にいる人に出会うときには、「自分事として」受け入れようとする心を忘れないでいたい。

イエス様の愛が与えられているから、安心して隣人に仕える自由が与えられています。それは、決して失望に終わることはありません。