今日取り上げたローマの信徒への手紙8章18〜30節では、終末の栄光について語られています。栄光という言葉はこの箇所全体のテーマになっています。18節の栄光から始まり、30節の栄光で終わります。この栄光に与ることの中に、自由・神の子とされる・からだの贖いが含まれています。

18ー23節・・・信仰者にとっては、苦しみが最後の言葉ではありません。苦しみではなく、神の栄光こそ、信仰者の最後の状態です。苦しみには、迫害だけでなく、病、死別、飢餓、経済的危機、死そのもの等、あらゆる苦しみが含まれます。現在の状態ですらも、クリスチャンは栄光の一部を経験させていただいていますしかし、神の栄光に完全に入れられるのは、最後の日、神の国の到来の日です。その時、召されていたとしても、からだの贖い、からだの復活を伴う永遠のいのちが与えられ、神様の臨在の中で、神様の子であることを真に体験します。その時は完全に解放された時、完全に自由にされた状態です。

24ー25節・・・目には見えないが、復活された主イエスによって約束された確かな希望があります。現在目に見えることは、時と共に流れていく一時的なものです。しかし、神の国は目に見えませんが、時と共に流れない完成された希望です。この神の国の栄光を待ち望む私たちは、キリストに固く立って前に進みます。ここで言われている忍耐とは、ある場所に留まることであり、クリスチャンが留まる場所は、救い主イエス・キリストにほかなりません。イエス様が共におられるから、イエス様に支えていただけるから、神の国に向かって、私たちは神様の御心を行うために前に進むことができるのです。

この見えない希望は、教会が伝える以外に誰も伝えられない希望です。だからこそ、この希望を語り伝え、その希望を後につなぐ者とさせていただきたい、これが私の今与えられている思いです。